職員自己紹介!「藤岡有紗」

職員自己紹介5人目は、ありさです✨✨
ユースでも人気者のありさの自己紹介を、ぜひご覧ください!
こんにちは!!!ありさだよ☆こと藤岡有紗です。
改めましてありさの自己紹介をします!
京都府の田舎で育ちました。三姉妹の次女。B型。
小学校中学校は勉強や習い事そっちのけで友達と遊んでいました。
友達が私の話で笑ってくれたり喜んでくれると、私もうれしくてもっと笑ってもらいたいと、いつも楽しいことや面白いことを探していました。
そんなありさの人生の分岐点 その1
【高校受験失敗】
勉強が苦手だった私は志望校に落ち奈良の私立高校に入学することになりました。周りはヤンキーばかり。月が替わるごとに教室からからクラスメイトが居なくなっていきました。「学校なんていきたくない」そんなクラスメイトの言葉を聞くたびに胸が痛くなりました。「このままではクラスが崩壊してしまう」そう思った私はクラスのムードメーカーになることに。結果は撃沈。友達からも「無駄だからやめときな」と言われ、私はぽきっと心が折れてしまいました。それから人とのコミュニケーションがうまくとれなくなりました。人と仲良くしたい。そう思っても体が言うことを聞かず学校も休みがちに。体が人を拒絶してしまうたびに私の中で人と関わりたいという思いが大きくなっていきました。
人生の分岐点 その2
【進学辞退】
昔から絵を描くことが好きだった私は絵を描く専門学校に行くことにしました。嫌いな勉強を避けて、ひとまず進学さえしておけば何とかなる。そんな思いで一般教養のテストがない専門学校に進学しようとしていました。だけど、高校の卒業式が近づくにつれ怖くなりました。私の人生努力したことがあるのか。このまま私は何となく大人になっていくのか。私はいったいどんな大人になるのだろう。そんな事を毎日考えていました。
卒業式1週間前、将来に対しての不安に耐えきれなくなり、母に土下座し専門学校の進学を辞退しました。
その後1年間の浪人生活を経て美術の大学に進学しました。この時初めて進路を決め自ら勉強をして納得のいく選択を掴む経験をしました。
入学式の日母が運転する車内でただただ涙を流していたことを覚えています(笑)
大学では毎日絵を描き音楽のサークルに入り楽しい大学生活を送りました。
人生の分岐点 その3
【ボランティア】
大学2回生の頃学生ボランティアと出会いました。
そこでは高校に行き高校生に自分の人生を通してメッセージを紙芝居形式にして届けるという授業を1年半しました。これまでの経験をふりかえり整理し言葉にして、高校生に話をする。この経験により、私のこれまでの出来事を整理して向き合うことができました。
その後家庭の事情で大学3年生の前期で大学を中退しました。
この時、私はみんなのような就職をして一般的な手順で人生を生きていくことに不安を感じていました。できない事がとても多かったからです。きっとこのままでは私は生きていくことができない。その変わりに「私は私にあった生き方を自力で見つけなければ、もしくは作らなければいけない」と思いました。
生きていく為、自分を表現する手段として「絵を描いて生きていこう」と考えるようになりました。絵でつながれるネットワークをひたすら探しボランティア、イベント、仕事をしました。人に助けられながらいろんな仕事や出会いを経験しました。
そして知人の紹介で障がい者就労支援のお仕事に携わりました。『就労支援』はその人が生活する中で苦手な部分、誰かの協力なしではできない事をお手伝いする仕事だと私は思います。
ここで出会った人から、人はみんな障がい(苦手なこと、できないこと)を持っていて、人の支えなしには生きてはいけない。ということを教えてもらいました。
そして、学生の頃ボランティアをしていた所からお誘いをいただき今の職場尼崎市立ユース交流センターに勤めることになりました。
課題も多く、平坦な道のりではなかったので、上手くまとめられずこんなに長々と綴ってしまいました。
ここに勤めて、学生から学び・気づきを与えられることが圧倒的に多いです。
学生のみなさんも私たちも共に成長し、やりたいことを実現させることを目指していきましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
次の職員自己紹介もお楽しみにっ🐧🌱