#16ユースセンターがある生活「評価からの脱却」@片岡
前回の第1回目で最終回のような話をしたので、
書く方としては、かなり絶望的な感じなんですが、がんばってコラムを続けていきたいと思う。こんな気持ちで今書いているセンター長の片岡です。※このコラムは僕個人の個人的な見解ですので、ご注意ください。第2回目のテーマは「評価からの脱却」若者たちと話していると、大人からの評価の話が出てくる。
「学校の成績が悪かった」
「家で自分の悩みを相談したら受けとめてくれなかった。(親の価値観を押し付けられた」
「地域で一方的に怒鳴られた」などなど。もちろん大人な側がダメなんだ!なんて言いたい訳ではない。ユースセンターにくる若者たちも、
僕から見ていても、見た目が派手だったり、言葉遣いが粗かったりする若者もいる。
ただ、僕が気を付けていることは、スタート時点で「評価しない」ということだ。僕たちが出会ったスケートボードの若者たちの話をすると、
オリンピック効果でスケーターの人口が急激に増えて、滑る場所がないという問題があるらしい。
もちろん、幼児が遊ぶ公園の横で滑ると危ないし、滑ってはいけない場所で滑って器物破損みたいな話はよく聞くし、ダメなことはダメということは大事だと思っている。一方で、彼らと話をすると「スケートボードを手に持っているだけでも通報された」ことがあるらしい。
「スケートボード=悪い人、怖い人」そういうイメージで評価してしまっているんだろう。だからこそ、尼崎のユースセンターでは、スケートボードをできるように、彼らと一緒に整備したりした。
そうすると、今は本当に沢山の若者たちが集まってきている。
中にはルールを守れなかったり、ごみを散らかしたりする若者もいるが、それは社会に出ていく中で、少しずつ学んでいけばいいし、彼らとの関わりの中で注意していきたいと思っている。※スケートボードの写真評価をするということは分断をつくることにもつながってくるのではないかとも持っていて、「評価する側」と「評価される側」、
ただ、これが「子ども/若者」と「大人」という構図になってしまっているのではないかと思っている。
この構図を対立構造にしないことが、ユースセンターの役割にはあるのではないかと思っている。今、尼崎市のスケーターたちが「スケートボードをする人もしない人も一緒に住みやすいまちをつくりたい」と常設のスケートボードパークを作ろうとしている。(クラウドファンディングをしていて、達成すれば完成するところまできた)
https://readyfor.jp/projects/ASK2024
この動きは、僕にとっては、評価され続けてきた子ども若者たちが、分断をなくそう!と問いかけているように聞こえてならない。この問いに大人たちはどう応えるのか?今試されている気がしている。