#35 ユースセンターがある生活「今日一日が果たして詩足りえたか」@湯澤
気がつけば、夏休みも終盤。
29歳が目の前に迫ってきた僕は最近、日々が過ぎ去っていく速度が日に日に増していっているのを感じる。
毎日起こることは別々のはずなのに、目の前のことに追われている中で、ひとつひとつの景色や感情に丁寧に向き合えていない感覚がある。目の前で起きたことをこれまでの経験から解釈して安易に意味づけしようとする。そしていちいち心を動かさなくなる。自分のやりたいことを仕事にできてるからこそ、余計日常と離れにくい部分も少し影響しているのかもしれない。日常の繰り返し。
中学生や高校生だった頃は、本当に些細な、しょうもないことに仲間と大爆笑したり、友達との帰り道の何気ない一言が刺さって耳から離れなかったりしたのに。今この瞬間しんどいときに「長い目で見れば…」みたいな話をされてうぜえって思ってたのに。そんな話をされたおじさんたちに近づいてきたんだなって自覚し始めた今日この頃なのです。
ここまで書いてみて、「若者の気持ちに寄り添いたいからその感覚を思い出したい」みたいに考えてることを自覚して、気持ち悪さを覚えた。寄り添いたいから、ではなく、「いまここ、この瞬間を味わう」ために、若者の姿から学びたい。
40年以上前から探究的な学びを進めてきた長野県の伊那小学校の学校観は「子どもの一日は一編の詩である。今日一日が果たして詩足りえたか」。その背景には、子どもたちは大人よりさまざまなものが見えていて、真正な活動の選択ができる、という子どもへの信頼と尊敬があるそう。素敵だなあ。
毎日が詩になるような、心が動く、感動のある日々だったらいい。それは明確に言語化されてなくてもいい、なんとなく言葉にならない何かを受け取って、次第に表現されていく。
今日は青フェスという中高生が企画する夏祭りが開かれたけど、中高生たちは何を感じ取っていたのだろう。
僕もまた感じ取る練習をしたいなあ。学ばせてください。
画像は先日雨上がりの夕方にみえたセンターからの景色。詩になりそうだなって思った!(かい)